いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (2)
続 剣術と剣道の違い
前回の話の続きである。剣術と剣道は、根本的な考え方も、練習方法、試合の有無、進退、攻撃部位、太刀の持ち方振り方まですべてが異なっている。稽古に必要な道具も全く違う。相撲と柔道ほども違うといったら言い過ぎかもしれないが、見当違いではない。
前述したように、剣術は戦場における刀を使った闘争の技術という明瞭な目的に従う。剣道は竹刀と防具という道具を用いて剣術が使う剣の技法を部分的に駆使して一定のルールの下に行うスポーツである。
まず、心構えであるが、剣術は、生死を分ける剣技の錬磨によって命を狙う敵に油断なく対応できる心構えが要求される。一方、剣道は昭和二十七年に全日本剣道連盟結成にあたり、剣道を民主的スポーツとして実施する方針を打ち出した。さらに昭和五十年に「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」という剣道の理念を制定した。すなわち、明瞭に敵との闘争手段としての剣の技術であることを放棄して人間形成を最終目的とした。すなわちスポーツである旨を明瞭に宣言したものと言える。
では、剣術の心構えとはどんなものか、往年の剣術家の例を紹介しよう。
幕末に会津で生まれ昭和十八年に没した武田惣角という人がいた。最後の武芸者といわれたが、歴とした現代人だ。少年期に上京、直心陰流榊原健吉道場で修業し、その後全国を放浪して数十年、命がけの武者修行をした。その間、惣角は単身数百人の無頼人夫と斬り合いをしたり、北海道で博徒と争いになった時は、博徒五万人を束ねる親分の家に単独で乗り込みこれを慴伏(しょうふく)させたりした。まさに時代小説そのものの一生を送った人だ。
後、自宅に落ち着いてからも、四六時中匕首(あいくち)を腹巻に納めていた。それも抜き身の刀身を布で巻き、剣先を出したものである。ある夏の午後、部屋でうたた寝をしていた。あまりよく寝ているので、起こさぬようそっと家人が枕元を通り抜けようとすると、目を覚ました惣角は咄嗟に手にした匕首で家人の腕を刺したという。幸い傷は浅かったが、往時の武者修行をした武芸者の挙措には驚かされる。しかしこれがまさしく古流剣術家の心構えである。まさか現代の剣道家で(古流剣術をやる人を含めて)、匕首を抱いて寝る人はあるまいと思うが。もともとの剣術を修行する心構えとはそういうものだった。(続く)