いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (23)
続・「心の下作り」
前回名人上泉伊勢守の乱心者に対する心構えの話をしたが、同じような話は伝説の剣豪塚原卜伝にも伝わっているので、また少し脱線する。最近は塚原卜伝という剣豪を知らない人が多いらしいが、日本を代表する剣豪と言えばまず三本の指に必ず入る人である。
卜伝はその生涯に「真剣の試合十九度、戦の場を踏むこと三十七度、一度も不覚を取らず、疵一か所も被らず、矢疵を被ること六ヶ所、敵を打ち取ること二百十二人と云えり」と古書にある。戦闘における史上一の記録保持者である。卜伝は鹿島神宮の神官吉川家に次男として生まれた。吉川家は刀術をもって業となす家柄でもあった。次男であったため、塚原城主塚原土佐守の養子となり、卜伝塚原新右衛門高幹を名乗った。
卜伝は十七歳から廻国修行を三度行い、生涯のほとんどを修行 of 旅に費やした。
卜伝が二回目の廻国を終え、故郷の塚原城に腰を据えて門人に剣術を教えていた時のことである。高弟の加藤某が道に繋がれた馬の背後を通ろうとした時、それまで大人しかった馬がいきなり加藤を蹴り上げた。咄嗟の身のこなしで馬の蹴りを躱して何事もなかったように加藤は歩み去った。これを見ていた門人がいて、加藤の見事な体裁きが門弟中に知れ渡り大評判になった。門弟の一人が師の卜伝にこの一件を告げて誉めそやしたが、卜伝は苦い顔をして聞き流すばかりであった。「加藤殿の技量を師はどうお考えですか」と尋ねると、「未だしじゃな」と一言答えただけだった。
弟子どもは納得がいかず、それならと一同謀って卜伝がいつも通る道に人を蹴る癖の強い馬を繋ぎ、卜伝がどうするかを隠れ見ていた。卜伝がいつもの通りその道をやってきた。遠くから馬が繋がれているのを見ると、わざわざ引き返して、別の道を遠回りした。弟子どもは卜伝の行為を不審に思った。「先日、加藤殿が馬の蹴りを見事にした話を不服そうに聞かれていたのはどんなわけがあるのでしょうか」と尋ねた。
「躱したことは見事だが、それ以上に馬が暴れ出したら始末に負えない。馬は蹴る動物だという習性を考えて、事前にこれを避けるのが兵法というものじゃ。加藤の振る舞いは未だ未熟としか言えぬ」と卜伝は答えた。まさに前回の上泉伊勢守の考え方、『心の下作り』と共通するのである。
(続く、睡猫児)