新陰流兵法とは何か (21) 「心法の江戸柳生」「刀法の尾張柳生」五

いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (21)

「心法の江戸柳生」「刀法の尾張柳生」五

 新陰流の代表は将軍家秀忠、家光の兵法師範を務め、ついには一万石を越える大名にまで出世した江戸柳生に一歩を譲らざるを得ないのは確かである。だが、新陰流という日本剣術筆頭の道統すべてを受け継いだのは実は尾張柳生の祖となった柳生兵庫助利厳(としとし)である。

 新陰流二世柳生石舟斎が嫡孫兵庫助に新陰流の正統三世を印可したのは先に述べた通り。兵庫助が徳川御三家第一の尾張徳川義直に仕え兵法指南役に任じられたところから、これを尾張柳生と呼ぶようになった。尾張徳川家に仕官した経緯は(18)で書いたので割愛する。

 兵庫助が祖となった尾張柳生家は、心法の江戸柳生に対して、刀法の尾張柳生と世に称された。新陰流刀法を祖父の石舟斎から徹底的に仕込まれた柳生兵庫助は恐らく当時日本随一の剣客であったと思われる。

 ところで、江戸柳生の柳生宗矩が新陰流に「剣術は単なる闘争のためだけの術に非ず、そのようなものは小さき兵法であり、大将たるものが修めるものではない。大将たるものは大なる兵法こそ修めるべきである。兵法は人を斬るにはあらず悪を殺すなり」という多分に哲学的な理論を取り入れて、平和時における剣術の存在意義を主張したのに対し、尾張柳生は、そうした剣術のあり様よりも、あくまで刀法技術を掘り下げて行く道を選んだ。これが『刀法の尾張柳生』と尊称された所以である。

 従って、前述した「活人剣」についてもその表す意味も考え方も全く異なっている。江戸柳生では活人剣とは、『人を活かす剣。人を殺傷するための刀剣も用法がよければ、かえって人を活かすものとなる。』という少しく抽象的な武道論を標榜しているが、尾張柳生にとっての『活人剣』(かつにんけん)とは、まさしく刀法の技術そのものを指している。

 その内容はと言えば、『活人剣』とは構えに隙(明身という)を意図的に作って、相手がその隙をどうしても打ちたくなり打たざるを得ないように仕向け、その敵の打ちをあらかじめ想定して、悠々と勝つことをいう。この誘いの隙を誘いではないように作ること、これが活人剣(かつにんけん)である。新陰流の極意が『随敵』(ずいてき)敵に従うことであるという真の意味だ。この敵の攻撃を、不自然さを感じさせずに誘導する隙の作り方を工夫することが上級者には必須の稽古となるのである。

(続く、睡猫児)

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