新陰流兵法とは何か (13) 続 勢法(型)の稽古

いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (13)

続 勢法(型)の稽古

 鉄太郎が入門した又七郎は二代目の浅利又七郎で、名を義明という。先代は又七郎義信と言い、有名な千葉周作の先生である。義信は下総松戸の貧農の出で、子供のころは家を助けるためアサリを売って歩いた。江戸まで足を延ばして、一刀流中西道場に潜り込んでは熱心に稽古を見つめていた。これに気付いた道場主の中西忠兵衛子正が「お前は、剣術が好きなのか?」と聞くと、「大好きです」と目を輝かせた。そこで、門弟に相手をさせてみると、既に二、三年稽古を積んだくらいの力量は十分あるので、内弟子にして鍛えることにした。よほどの才能があると見え数年で免許皆伝になった。忠兵衛が出入りしていた小浜藩に推挙しようと思ったが、苗字がない。そこで、アサリ売りをしていたところから思いついて、浅利又七郎義信と名乗らせて、小浜藩に仕官させた。この義信の養子が二代又七郎義明である。師の中西忠兵衛子正の次男である。後に幕末の名剣士と詠われた達人であった。

 鉄太郎は又七郎義明に入門するにはしたが、まだ己の剣技が又七郎に通じなかったことに納得がいかなかった。得意の面打ちをもっと思い切りよく打っていたのなら、必ずしも手も足も出ないということは考えられない。思い切りが悪かった、打つことに逡巡したのが敗因であると、自己に甘い結論を出した。そこで入門した翌日、再び又七郎に手合わせを願い出た。又七郎はあっさりと承諾した。但し今度は木太刀で立合うが良いか、とのことである。木太刀の立合いともなれば、命に係わる。真剣勝負に近い。「いざ、参られよ」又七郎は帯通りに真っ直ぐ突き出した下段の構えである。鉄太郎は木太刀を正眼に取った。

 逡巡なく打ち込もうと思った鉄太郎だが、又七郎の下段の剣先が邪魔になって打ち込むどころか少しも前に進めない。これではならぬと大上段に振りかぶると、又七郎の下段の剣先がさらにジワリと迫ってくる。こんな繰り返しで、気が付けば鉄太郎は道場の壁に押し付けられていた。

 翌日もまた同じことであった。又その翌日も、翌々日も、ついには、道場から庭に追い出され、泉水に追い落とされることさえあった。(続く、睡猫児)

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