新陰流兵法とは何か (11) 新陰流入門

いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (11)

新陰流入門

 もう少し移香斎の秘技を学びたいところだが、この調子では、何時まで経っても新陰流とは何かが終わらない、どころか始まらない。そこで思い切って、今回からは新陰流にともかく入門してみようと思う。

 新陰流に入門するとまず教わるのが礼法である。次いで太刀の握り方、構え方、振り方(太刀振り)を覚えると、その次にはもう型の稽古に入っていく。最初に稽古するのが「三学円之太刀(取上げ遣い)」という型である。

 三学円之太刀略して「三学」は五本の型からなり、その一本目を「一刀両段」という。三学については後程多少の説明をさせて頂く。とにかく初心者は、この型を稽古しながら色々な基本的動作や技を学んでいくわけである。「一刀両段」を始めとする五本の型からなる三学を二か月ほどで一通り覚えると次の型、「相雷刀八勢」に進む。

 ところで、最初に習う礼法だが、立礼と座礼とに大別される。筆者が属する新陰流上泉会の稽古及び演武会においては、立礼、座礼(正座)、座礼(爪甲礼)の三種の礼法を使い分けている。稽古の時は簡便な立礼を、演武会では丁寧な座礼で行う。このうち流祖上泉信綱が自ら作り最初に教習した本伝と言われる型のみは、爪甲礼と称する貴人に対して行う礼法で挨拶する。その他の型は正座による挨拶となる。

 少し話が横道に逸れるが、ほとんどの人は、正座による座礼は日本古来から行われてきたものだと思い込んでいるのではないだろうか。この認識は間違いである、実は古来から明治まで、日本人の通常の座り方は、胡坐(安座)か立膝であった。この座り方は、貴賤、男女を問わず同じである。泥棒もお姫様も普通には胡坐をかくか立膝で座っていた。

 そもそも正座は奈良時代に中国から伝来したが、本来は神仏あるいは特別高貴な人にひれ伏す場合のみに行われた。正座が貴人の間で公式な座り方になったのは江戸時代初期である。徳川家康が天下を掌握して諸大名に謁見するときに、小笠原流礼法が取り入れられ正座が公式の作法となった。諸大名に絶対の服従を誓わせるにふさわしい礼法であった。正座が正式に国策として採用されたのは明治時代後半の事である。正座が当然の正式礼法と国民が認識するようになったのはそんなに昔の話ではないのである。(続く、睡猫児)

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