いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (6)
愛洲移香斎と出会う
前回の続きで、鼻毛を伸ばした老いぼれ武士の話だが、この老剣客の名を愛洲移香斎久忠という。生年が享徳元年(一四五二)だから、この時既に七十三歳の高齢であった。
移香斎の出身は伊勢国南伊勢町で、熊野水軍の一党として知られた伊勢愛洲氏である。剣術の才に恵まれ若くして全国を武者修行して回った。三十六歳の時、日向鵜戸神社の岩屋に参篭した。満願の日、猿の演ずる兵法の奥義一巻を神より授かって、刀法の極意を会得したという。この後一流を創始して「陰の流」と称し、諸国を修行して歩いた。
この回遊の途次に出会ったのが、信綱の祖父時秀である。腕自慢の時秀は城を訪れた移香斎に試合を挑んだがどうしても敵わずに弟子になった。以来移香斎と時秀は師弟関係とはなったが、よほど馬が合ったらしく子弟というよりは親友のような付き付き合いだった。
信綱は剣術の修行に行き詰まりを感じていたので、幼少から祖父に手ほどきを受けていた陰流の創始者にじかに教えを受けられることに小躍りした。挨拶もそこそこに早速教えを乞うと、移香斎は予想に反して一向に乗り気の様には見えなかった。
「そうよのう、まあ、ぼつぼつやったらよかろう」信綱は拍子抜けする思いだったが、
「早速明日からでもお教えを願いたく存じますが」
「まあ、そう急ぐこともあるまいて。明日からやっても急に上手くなるわけもなかろう。だが、まずは一応、太刀を合わせてみようかの」ととてもやる気があるとは思えない。
信綱は木太刀を取り初めて移香斎の指導を受けた。稽古は信綱も習い覚えた陰流の基本の型だった。移香斎は時折、首をひねりながらぶつぶつ何か呟いたり、唸ったりした。 しかし、信綱には甚だ心もとない稽古だった。(これが稽古だろうか)信綱は不満だった。鹿島の鬼、松本備前守の荒稽古に比べると何とも生ぬるい。一つ一つの型も一寸太刀を合わせた程度で先へ進んでしまう。型をなぞっているだけで、核心に入って行かない。
やがて、さっと木太刀を引いた移香斎は稽古を見ていた時秀の所に歩み寄った。
「どうでござろう、綱は物になり申そうか」時秀は忙しなく尋ねた。
「物になるどころではござらぬぞ、誠に何百年に一人の逸材と見ました。しばらくの間、移香斎に若殿をお貸しくださらぬか」(続く、睡猫児)