いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (25)
「新陰流の本質とは」
前回述べた型というものの本質が仮に真実であったとしても、未経験者に文章を通じてこれを伝えることは不可能だ。結局実地にやってみなければわからない--というつまらぬ結論で終わるのでは身も蓋もない。が、居合の祖である林崎甚助という人が散る柳の葉を地上に落ちるまでに十数回切って見せたという話を、眉唾ではなく真実の事だと実感出来るのは実際にやってみるしかないのも事実だ。そこで最後に新陰流兵法とは何かの解答を、世に名高い「日本の弓術」(オイゲン・ヘリゲル著)という本に助けを求め、新陰流を含む日本武術究極の目標を同著から引用し、この迷走随筆の結論としたいと思う。
この名著はドイツから日本の旧制第二高等学校に赴任した哲学者が日本の弓道にのめり込み、その極意を極めるまでの数年間の苦闘の記録である。師の阿波研造は的を狙うことさえ排除してひたすら無念無想で弓を弾くことを要求した。しかしヘリゲルは師の指導法に疑問を持った。ドイツ人らしい技術重視の考えから、我流の射法を考え出した。ある日師の前でそれを演じて見せた。師はこの射法を見ると目を閉じ悲し気に首を振った。
「貴方の工夫は私にとっての弓術ではない。ここに至ってはやむを得ない。今夜もう一度出直して来なさい。」その夜へリゲルは再度弓道場を訪れた。的前(まとまえ)の灯りはすべて消されて真の闇であった。師は的前に僅か一本の線香を灯すよう命じた。的は暗黒の中にあった。的前の線香の微かに光る一点は非常に小さく、そのありかが分からないほどだった。
師は徐に二本の矢を取り、一本を番えた。発止と的に命中する音が響いた。師はもう一本の矢を番え、瞑目したのち再び矢が放たれた。第二の矢も音を立てて打ち込まれた。暫くして、師はヘリゲルに的を見てくるよう命じた。的の中心に二本の矢が刺さっていた。一本の矢がもう一本の矢の筈に当たってそれを二つに裂いたのが明瞭に分かった。ヘリゲルはその光景に驚愕した。彼は二本の矢の刺さった的ごと、師のもとに持ち帰った。師はそれを見て暫く考え込んでいた。やがて次のように言った。「一本目の矢が的に命中したのは、この道場に馴れた人なら不思議ではないと貴方は考えるかも知れない。だが二本目の矢はどうだろう。これは私が当てようとして当てたものではないのは明らかだ。この暗闇で、的に刺さった矢の筈を狙うことなどできるものかよく考えてごらんなさい」
ヘリゲルはすべてが氷解したように感じ、すべてを理解したように思えた。以来、彼は疑うことも思い煩うこともきっぱり諦めひたすら無念無想で弓を引き続けた。
(了、睡猫児)