いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (22)
「心の下作り」
前回活人剣という言葉の意味が江戸柳生と尾張柳生とでは相当な開きがあることを述べた。しかし、だからといって尾張柳生が、心法について無関心ということでは決してない。そもそも、新陰流という剣術自体が相当に理屈っぽい流派だ。『没茲味手段口伝書』(柳生宗厳著)、『新陰流斬相口伝書』(同)、『始終不捨書』(柳生利厳著)等々枚挙にいとまがない程に伝書が並ぶ。どれも新陰流の極意を説いた難解極まりない著述だ。これらの伝書は独りで読めば難解だが、噛み砕いて解説されると、その探求の深さに驚嘆を禁じ得ない。
例えば「心の下作り」という教えがある。尾張柳生家に残る「明話之目録」という著述の冒頭に記されている話である。流祖上泉信綱は与力した長野業盛が籠る箕輪城の攻防で武田信玄に敗れ降伏した。信玄の熱心な仕官要請を断り、廻国武者修行を理由に許しを得て高弟二人と共に上洛した。その途次の事である。尾張国一宮の名刹臨済宗妙興寺に宿を借り、逗留することになった。ある日寺の周辺を散策していると、村人が血相を変えて話し合うのに気付いた。大変に切迫した様子である。村人に尋ねると、乱心した浪人が脇差を突き付けて子供を攫って納屋に立て篭もってしまった。近づくこともできないという。
信綱はこれを見てじっとしていなかった。折よく通り掛かった僧侶に訳を話して、法衣を借り、頭を剃ってもらった。油断させるため出家を装ったわけだ。村人の用意した握り飯を手に納屋に入った。逆上する浪人にそっと近づき、泣き叫ぶ子供に握り飯を手渡した。更に巧みに宥めつつ浪人にも握り飯を差し出した。絶妙の呼吸である。空腹の浪人が握り飯を受け取ろうと脇差を置き手を伸ばした瞬間、あっという間に浪人を手縛し組み敷いた。
後にこの話を聞いた高名な剣客が、上泉伊勢守ともあろう達人がたかが一人の乱心者を取り押さえるのに頭を丸めたり法衣に着替えたり大げさに過ぎると感想を述べたという。
だが、この逸話について新陰流の門弟が教導されるのは以下の通りである。
「凡そ兵法家の心構えは、『兵法の外』である乱心者の行動を最も警戒する。いくら用心してもし過ぎることはない。こうした場合の『心の下作り』は常人の想像を遥かに超えたものだ。流祖の振舞いは、心の下作りの至極を尽くしたものであると心すべし」と。余談だがこの逸話は黒澤明監督の「七人の侍」のシーンに取り入れられているので有名だ。
(続く、睡猫児)