新陰流兵法とは何か (20) 「心法の江戸柳生」「刀法の尾張柳生」四

いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (20)

「心法の江戸柳生」「刀法の尾張柳生」四

 柳生宗矩(むねのり)は新陰流において達人の名をほしいままにしたが、政治的能力にも恵まれていた。幕府の大目付という要職に任じられると、時を経ずその優れた能力を発揮した。

 天草四郎時貞を首魁とする三万八千人が島原に拠って一揆を起こした時のことである。将軍家光は板倉内膳正に命じ、一揆討伐に向かわせた。宗矩は自宅にいたが、それを聞くと直ちに馬を飛ばして跡を追った。『一軍の大将は内膳正のような正直な真面目過ぎる人では務まらぬ。内膳は軍に将たるの人ではなく、治において腕を振るう人である。お上は人選をお誤りなされた』と思うと、大急ぎで品川まで馬で追ったが遂に追いつけなかった。宗矩は仕方なく馬を返し、夜中に登城して家光に面会を申し入れた。家光は火急の用事と聞いて夜分にも拘わらず宗矩に対面した。宗矩は家光に目通りするとこう切り出した。

「板倉内膳正殿は、失くすには惜しい人物でござります。これを島原の一揆で討死にさせては、あまりにも気の毒であり幕府にも大きな損失、なにとぞ、お考え直されますよう」

「なにゆえ、討死するのか」

「第一に、律義者でござります。第二に、官位高からず。西国の諸大名は内膳正を頭に頂き、その下知を受けて働くことを快しとは思いますまい。そこで内膳正は将軍の命によったにも拘わらず、諸大名を統率することが出来ず、また、もとより武辺の人に非ず、経世の人故、一戦して敗れたりすると恐らくじっとしてはおられず、気短な戦を仕掛けて不覚を取らぬとも限りません。西国の諸大名に大将として振舞うには、少々厚かましく清濁併せ呑むような人でないと務まりませぬ。この辺、よろしくお考え直しくださいますよう」

家光はしばらく考えていたが、

「しかし今から呼び返すのもなんじゃから、後でわしからよく申して置くとしよう。まさか直ぐに討死するようなことはあるまい」と下知をそのままにした。

 そんなわけで、内膳正は天草へ着任した。が、果たして宗矩の言のごとく諸大名は内膳正を軽んずることが多く、なかなか戦果を上げられなかった。内膳正は己の責任を感ずるの余り自ら先頭に出て討死してしまった。家光は討死をひどく惜しむと共に、宗矩の先見の明に驚き悔いたが後の祭り。家光は以来益々宗矩を信頼するようになったという。

(続く、睡猫児)

PAGE TOP