いま古流剣術が面白いーー新陰流兵法とは何か (8)
続 移香斎の秘技を学ぶ
信綱の修行の全貌をこれからつぶさに述べて行きたいところだが、本稿を読む方々は剣術には縁もゆかりもない人たちだ。縷々述べて居たら、いい加減にしろと思われるに違いない。そこでざっとかいつまんでお話することにする。
新陰流の修行では、剣技は無論だが、間合、間積もり、拍子が重要である。さらに最終的に必須となるのは、「活人剣」又は「活人刀」(かつにんとう)と呼ばれる極めて高度な技法である。従っていずれは活人剣について言及しなければならないが、今回はまずは間合、間積もり、拍子について書こうと思う。
まず間合だが、これには、時間の間合と距離の間合の二つがある。時間の間合は後述の拍子と重なる部分があるので、まずは距離の間合の話から。これは至って分かりやすい話で、打とうとする物に届くか届かないかの問題である。届かなければ、どんなに速い強い打ちでも物は打てないのは当たり前だ。だから届くか届かないかを稽古するのは剣術修行のいろはである。自分が振る太刀が相手に届くのか、打ち出した相手の太刀が自分に届くのかが即座に判断できるかできないかは、まさしく生死を分けることになろう。
かの二刀流で名高い宮本武蔵は五分の見切りということを自著の五輪書に書いている。武蔵は振り下ろされた敵の太刀が我が身に五分(1.5センチ)届かないと瞬時に分かるというのである。五分届かないことが瞬間的に見極められるとは恐るべき修練だが、現在でもそうした訓練は少なからず行われている。五分は無理だが一寸(3センチ)の見切りを目標にして稽古する。稽古したからと言って無論容易にできるものではないが。
間積もりとは、今述べた丁度相手に太刀が届く間合へ過不足なく歩み寄ることが出来るよう一定の速度、歩幅で歩むことをいう。実践において間合と間積もりは一体のもので、最も基本になる技術である。
三つ目の拍子とは、今風に言えばリズム、タイミングの事で、あらゆる運動でリズム感が悪い人は上達を諦めた方が良いとは当然至極のことである。いくら速くバットを振れる人でも、ボールが届く前に振ってしまえば、小学生が投げたボールでも打つことは出来ない道理である。これを新陰流では拍子を合わすとか拍子を取るとか表現する。(続く、睡猫児)